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蘇民祭の全裸について [法律]

蘇民祭について色々な意見がありそうです。

刑法のわいせつ罪の観点の記載等があったので、憲法的観点から述べてみます。

私見なので、絶対ではありません。

蘇民祭における、全裸を禁止する警告、法律は許されるか?

20条1項の「信教の自由」を侵害しないか?

信教の自由は、歴史的弾圧の点から、内心にとどまる限りは、19条の思想、良心の自由同様絶対的に保障される。

しかし、外部的行為を伴う場合は、他の人権との衝突のおそれがあるため、「公共の福祉」(12条後段、13条後段)による制約を受ける。

では、いかなる制約が許されるのか。

信教の自由が歴史的背景から、重要な権利として保障されなければならない。
また、信仰者等の少数者の自由が侵害されやすいものである以上、できる限り保護すべきである。
よって、制約の目的、程度、達成の必要性、制約対象が信仰の核心か、信仰に与える影響、程度、不利益等を総合考慮して判断すべき。

本件における行為は、宗教的行事の一環であり、伝統的に継承されてきたものである。
そして、地元に密着しており、地元にとって認められてきた伝統行事である。

一方、全裸について禁止する制約目的は、善良な風俗の健全性の維持であり、これ自体は正当である。
そして、その程度も禁止による罰則等があるなら重いが、警告、注意のみであるならば、程度は軽い。
また、警告、注意により主催者が対応を考慮するのであり、目的達成が可能である。

もっとも、警告、注意の内容が全裸をいかなる場合もすべて禁止する場合には、一考すべきである。
すなわち、観光客を入れない状態にする、信者のみで構成された場所のみで行う等、信仰の自由に基づく外部的行為を制限しているのであれば、警告、注意も妥当といえる。

しかし、蘇民祭における全裸が、信仰の核心か否か、信仰に与える影響の程度、不利益の程度は不明である。

仮に全裸が信仰の核心であり、全裸を禁止することで与えられる影響の程度、不利益が大きいのであれば、警告、注意といえども、信教の自由の侵害になりうる可能性がある。

以上のことから、警告、注意の具体的内容によっては行き過ぎの場合もありえるし、具体的内容が軽微であっても、信仰の核心、多大なる影響を及ぼすのであれば、信教の自由を侵害する場合もありえるといえる。

とまあ、色々書いてみましたが、全裸の位置づけが信仰のどこにあるのかを知らない以上、ここまでしか考えられないです。

*****追記******
祭で全裸になることが善良な風俗を乱すのか。この点も考慮する必要があると思います。

本来、刑法175条でいうわいせつの概念も、必要最小限の性道徳の維持のために刑罰を科し、規制しているのであるから、祭において全裸になることがこの性道徳に反するかどうか、憲法的にも善良な風俗を乱すのかどうかという点が問題になりますよね。

祭が一時的、あるいは年に一日のみであれば、それほど影響は及ぼさないのではないかとも考えられますし。

やっぱりかなり難しいですね。

それと、もう一点。全裸として参加している人たちが、祭だからという理由であり、信仰心からではないというのもありうるでしょう。

そうなると、全裸になる自由は?

憲法13条が保障しているものが、人として生存に必要なもののみ対象であれば、喫煙の自由同様、尊重に値するが、13条では保障されないとすれば、全裸になる自由は憲法上の権利ではないといえます。

憲法上保障されない自由であっても、制約は最小限であるべきであるから、
祭において全裸への規制は善良な風俗の維持目的とし、制約目的の必要性もいえるでしょう。

その手段も注意、警告をしてそれでも行われるなら刑罰を科すことも実効性確保のため許されるかも。

しかし、感覚としては、祭だし、一日だし、酒も入るだろうし、まじめにやってるし、地域住民にも理解されているし、いいんじゃないの?
とも思ってしまいます。

よくある論調で、他でも同じような祭があるじゃないかというのは、まったくの根拠がないですね。


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