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過失 [犯罪]

過失ってやつぁ、大変な代物で、厄介の代表格です。
この季節に必要な加湿とはエライ違いです。

加湿じゃないものについて記述してみます。


まず、基本事項として、犯罪は、
構成要件該当性(行為と結果の因果関係)、違法性、責任で決定します。

これを前提として書きます。


過失の考え方としては、おおよそ3つあります。

旧過失論、新過失論、新新過失論。


旧過失論は、過失を故意と同じと考え、責任のレベルと考えます。

そしてその責任を結果予見義務違反と考えます。

すなわち、犯罪となる結果が発生することを予見できたのに、
結果を発生させてしまったことに過失があるとします。

しかし、これだと、車の運転や工場を経営すると、常に結果が発生する
(車なら人身事故は人が怪我することや死ぬこと)ことを予見できることに
なり、結果を発生させると当然に過失が認められることになります。


そうすると、どんなに現在取り得る安全な対策を取っていても過失が存在
することになり、これは結果責任(起こってしまったら何が何でも責任を
取らなくてはならない)となって、不都合です。


そこで、新過失論は、過失は故意と異なり、主観的違法性要素という犯意とでも
いうべき要素であり、構成要件該当レベルであるとし、その内容は、結果回避義務違反とします。

つまり、結果が発生することを回避する適切な行為がなし得たのに、しなかったことに
過失があることになります。

結果を回避する適切な行為とは、安全運転や、交通ルールを守っていたことで
適切な行為をしたのに、結果が発生してしまっても、結果回避義務違反がないことから
過失はないとなります。

ただし、この場合、結果発生の具体的予見可能性を必要とします。


ここの具体例があまりないのですが、
車を運転していて、この道路だと人をはねやすいとか、見通しが悪いから危険であるとかの
具体的な予見だと考えられます。


新新過失論は、さらに、この予見可能性を危惧感で足りるとします。
ただ危ないことの予見可能性があればよいとします。

車を運転していること自体が危ないことであると。


しかし、これだと旧過失論と同じようになってしまいます。

そうやって新新過失論は批判されるので、新過失論が現在の
過失の大勢というべきでしょう。


ややこしいです。
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コメント 2

黒澤

「新過失論は、過失は故意と異なり、主観的違法性要素という犯意とでも
いうべき要素であり、違法性レベル、構成要件該当レベルであるとし」
と書かれてありますが、構成要件該当性と違法性とのどちらのレベルに属するのでしょうか。ご教授ください。
by 黒澤 (2009-03-11 07:21) 

jem

失礼しました。

新過失論は、責任レベル、違法性レベルではなく、構成要件該当レベルでした。

新過失論は、結果予見可能性及び結果回避可能性を前提として、結果回避義務を怠った、結果回避義務違反として構成要件該当性の問題であり、
結果回避義務違反が仕方がない場合に、違法性阻却事由として考慮されますね。

本体を修正しておきました。
by jem (2009-03-12 00:35) 

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